会員リレートーク

1973卒
金田(板井)勝美さん
高校25回生・理数科1回生の金田(板井)勝美です。リレートークですから、25回生の同窓会活動と個人の思い出を少しだけ紹介します。クッスと笑って頂ければ、幸甚に存じます。
□はじめに
入学時は理系進学が持て囃された時代で、理数科が新設されたと記憶している。クラス替えもなく、ほぼ同じ級友と机を並べた。先生方の期待も大であったが、生来の天邪鬼な性格もあり、決められた路線に反抗し、ヤンチャな高校時代を過ごした。クラスの雰囲気に馴染めなく、放課後の人生勉強が中心。でも、人は変わる。親元を離れた大学生、その後の社会人生活と、自分の限界を知り、いつしか世間の常識を身に着けていた。今では、25回生同窓会幹事を務める「お節介好き」になっている。ここで小ネタを一つ、今の最大目標は孫娘を可愛がる甘~い「イケジイジ」です。※後ろ姿ですが、笑える写真映像を添付
□軽音楽全国大会「スニーカーエイジ」の激励会 ~ 令和6年10月17日
全国大会激励と細やかな差し入れを目的に、懐かしの母校を訪れる。古希同窓会で知己を得た渡辺校長と軽音学部顧問の小野先生、そして、同窓生3人と共に4階音楽室で全国大会披露曲を聴く。私以外は合唱部OB・OGなので、若いロック調な音に、当時との違いを感じたように思う。全てが昔日の感。廊下に出ると校舎を繋ぐ屋上通路が見える。突然、小ネタを思い出す。季節は5月、級友と手作りのトイレットペーパー鯉のぼりを手すりにセットした。目論見通り、それは見事に薫風になびく。昼休み中の下級生が目撃し、笑い声を上げてくれた。大成功、友人とサムズアップし、即座に撤収。お茶目な悪戯でした。
□古希同窓会 ~ 令和6年5月11日・喜楽庵・参加者58名
還暦(参加者101名)と同じ喜楽庵で開催。今回は開宴前のウエルカム演奏会を企画。軽音楽部後輩に演奏を依頼、先生方と佐藤英彦さんの尽力で実現に至る。伝統的木造建築に響く若いエネルギーに、女将さんや仲居さんも手を休め、同窓生と一緒に演奏を愉しんだ。簡単な幹事挨拶に続き、動画紹介、校歌斉唱、地酒での乾杯と、次第に盛り上がりを見せる。気が付くと多くの歓談の輪、全体写真の撮影に四苦八苦、まるでカオスな状態だった。二次会はブーケ、カラオケ大会は大盛況、歌うま同窓生の多さに吃驚。ここでの小ネタはアナログ世代の悲哀です。借用のプロジェクターは事前確認済。当日はその努力の甲斐もなく、配線接続に大慌て。やっとの思いで映像が出た時、安堵感が最高潮でした。※同窓会BIKITAアルバムに集合写真を添付~良ければ見てください
□長崎旬学旅行 ~ 平成30年5月20日~21日・参加者30名
在学時は悲しき受験生の時代。当然、修学旅行もなし。同窓会での内輪話が端緒になり、旬学(今が旬)旅行を企画。構想約1年、下見会を幹事竹内勢子さん夫婦と4人(妻を含め)で実施。結果、場所は長崎、サロンバス貸し切りの旬学旅行が実現。臼杵駅集合でスタート。酒類は多めに準備したが、湯布院通過の頃には残り少々。トイレ休憩は頻発。何とか長崎市内に到着。懇親会は中華街名店の福壽、二次会はラウンジ貸し切りでのカラオケ大会。その後は自由行動で終了。2日目の午前中はグラバー邸や眼鏡橋などを散策。昼食は吉宗の茶碗蒸しを堪能。稲佐山を経て帰途するコース中にハプニングが発生。バックするバスがポールに接触、マフラーを損傷。高速通行を考え、その場での修理を決断。修理待ち数時間、各自が自由行動で難局を打破。大村空港経由の同窓生にタクシー手配など、幹事の苦労は絶えなかった。ただ、参加者全員が大いに愉しみ、語らい、飲み明かした、思い出深い旅になった。ハプニングもまた愉し。※同窓会BIKITAアルバムに福壽・グラバー邸(前列左端が私)集合写真を添付~良ければ見てください
□結びに
幹事は大変、でも愉しいことも多い。年齢を重ねると、ストレスのない人間関係が嬉しい。その意味では同窓生との交流が最高だと思う。幸いにも25回生には「おくんち」と云うベース基地がある。同窓生が実家に手を入れ、地域に開放した小さな公民館のような施設である。花見や月見など、季節の折々に同窓生が集い、語らい、酒を酌み交わす。気の置けない少人数の宴席は無条件で愉しい。旬学旅行や古希同窓会が実現したのも、その延長だと思っている。ここまで記載して私の履歴など、個人的情報が乏しいことに気が付いた。興味ある方にはネット検索をお薦めします。金田勝美の簡単な職歴や仕事が、些少は明らかになる筈です。最後まで読んで頂いた方に大感謝!
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