会長挨拶/HPに寄せて

同窓会長
朝倉 洋一郎(22回生)
同窓生の皆さまには、日頃より格別のご支援とご協力を賜り、心より御礼申し上げます。このたび、足立会長の後任として、タスキを引き継ぎ、同窓会会長を拝命いたしました、22回生の朝倉でございます。歴史と伝統ある同窓会の運営を担うにあたり、身の引き締まる思いでおります。
これまで長年にわたり、同窓会の発展と母校への支援に尽力されてきた歴代の会長、役員、そして多くの同窓生の皆さまのご尽力に深く敬意を表し、感謝申し上げます。その思いと志をしっかりと受け継ぎ、今後も同窓会活動のさらなる充実と活性化に努めてまいります。
母校・大分舞鶴高等学校は、「質実剛健」「文武両道」の精神を大切にしながら、3万人を超える優れた人材を社会に送り出してきました。同窓会としても、母校の歩みに寄り添いながら、会館の維持や在校生への支援活動などの事業を継続して行っております。これらの活動は、全国の同窓生お一人おひとりの温かなご支援に支えられており、あらためて心より感謝申し上げます。
時代が大きく変化するいまだからこそ、「舞鶴魂」で表される誠実で芯のある人間力が、これからの社会でますます求められるものと感じております。同窓会もまた、世代や地域を超えたつながりを育み、母校と同窓生双方の発展に寄与できるよう努めてまいります。今後とも、変わらぬご支援とご参画を賜りま
すようお願い申し上げますとともに、皆さまのご健勝とご活躍、そして母校の一層の発展を心よりお祈り申し上げ、ごあいさつといたします。

<校歌制定のいきさつについて同窓会20周年記念誌より抜粋>
橋本喬木先生(初代校長)、泥谷信男先生(旧職員)
平山浩一郎(一回生)、首藤安男(一回生)、和気泰智(四回生)、江上輝子(一三回生)
首藤:校歌制定のいきさつなどお聞きしたいと思います。
橋本:二十八年に作った。最初安東先生(当時教育長)の意見で国会図書館長の土岐善麿氏に頼む予定だった、ところが、外遊中で会えず、困っていたら、東京のクラス会の席上、昭和女子大教授「コタンの口笛」で有名になっていた石森君がいるというので、依頼した。大分に招き、景色など眺めてもらって作ってもらった。
泥谷:秋の頃できたんでしたね。石森先生を招き、校歌を歌った。
首藤:「行為と言語かざるなし」というのは橋本先生のご意思をくまれてのことと聞きましたが。
橋本:石森君が私のぶっきらぼうの性質を知っていて、「おまえのやる学校だから個性がでているだろう、おまえの気持をいれておいたぞ」と言っていた。
和気:「応援歌」「ラグビー讃歌」は橋本先生の作詞ですね。
江上:あの「ラグビー讃歌」は気持ちが盛り上がります。
橋本:まだあの歌を歌っているのか。もういい加減にやめてもらわないと困る。曲は辛島先生に頼んだのだが。
平山:あんなすばらしい歌はいつまでも残したいものです。
石森 延男 作詞
下総 皖一 作曲
一
朝日に映えて そびえたつ
由布連山の おおらかさ
高き希望と 限りなき
夢抱かばやこの胸に
(繰り返し)
舞鶴高校ここにあり
名も美しきわが母校
二
夕風そよぎ 流れくる
大分川の 清らかさ
深き真理を さぐりつつ
行為と言語 飾るなし
(繰り返し)
三
輝きみつる 東の
海ゆ吹きくる 潮風に
鍛えあぐべし この五体
濁らぬ眼 見開きて
(繰り返し)
P R