会長挨拶/HPに寄せて

伊丹北高同窓会 会員のみなさまへ
令和 6年 12月
同窓会長 中島幸雄(5回生)
~伊丹北グラウンドに人工芝が敷設されます!~
伊丹北高創立50周年の活動時には、多数の協力、ご厚志を頂戴しています。改めて御礼申し上げます。
記念事業では、周年祝賀の式典開催、記念誌発行や、講義棟空調寄付など教育環境の整備を進めました。そうした中で、兵庫県のご支援により、全館空調を50年ぶりに再整備することができました。これにより、毎日、一限目はガス空調と格闘して授業にならないといった不具合は解消されたようです。
事業の一環として、前庭に‘きらり☆n’のレリーフを美術部の協力を得て、設置しております。来校の折にはぜひご覧ください。
記念事業の最終弾として、グラウンドへの人工芝設置が予定されています(令和7年着工予定)
同窓会では、阪神間初となる県立高校への人工芝敷設を環境整備のチャンスと捉え、在校生の利用利便性の促進、地域での伊丹北高のネームバリュー向上も狙って、各種整備に向けた寄付等の支援を実施します。
詳細は、ホームページ寄付欄の『人工芝敷設に関する寄付趣意書』をご覧ください。
物価高騰の厳しい社会情勢下ではありますが、コロナ禍を乗り越え飛翔する北高の更なる発展を目指して、皆さまのご協力をお願い申し上げます。
(伊丹北高 概史)・・・詳細は50周年記念誌に記載あり。
■1.開校時の思い出
伊丹市南中学の廃校となる校舎仮住まいでスタートした1期生。鴻池の新設校には、校門すらなく、池を埋め立てた、広いだけが自慢のグラウンドは、雨になると何日も水が引きません。開校7年目にようやくプールができ、テニス場も整備されました。「ルールなきが、ルール」「まずは自分の頭で考えよ」という初代河田校長の自由を重んじる校風はこの時代からのものです。制服もなく、ブレザーの選択制とこれもまた当時としては斬新でした。
■2.学年400名超す時代の普通科時代
校歌は公募でした。「つねに新しく~♪」で始まる歌詞とメロデイーに在校時の思い出がよみがえる方も多いのでは?「初心 自律 連帯」の校訓を田中校長時に設定、碑が前庭に整備されたのは、川端校長時の開校10周年のときでした。 全校生徒1,000名を超える規模は隔世の感ありです。阪神淡路大震災時には、D棟が倒壊(その後復旧)。
■3.総合学科での飛躍と充実
鴻池から宝塚方面へつながる道路が整備されたのは、総合学科に移行した後のことです。津止校長の総合学科移行への決断時には心配もありましたが、その後の、乾校長、豊田校長、大路校長のリーダーシップのもと‘きらり個性’のフレーズが多用されました。北摂、県内でも伊丹北の評価が急速に伸びた時期でもあります。この第二の黎明期には、夜遅くまで進学指導がなされ、岡田校長のアイデア豊富な展開のなか、総合学科発表会なども学校内外に発信されました。井上校長時には特に国際交流や姉妹校提携でも目覚ましい発展が見られました。
そして令和を迎え、コロナ対策により制限があるなか、伊丹北高は創立50周年を迎えました。
われわれ伊丹北高同窓会の目的は、同窓会規約にもあるように「会員相互の親睦を深め、人格の向上に務め、母校の発展に寄与する」ことです。
会員のみなさまの周年事業、同窓会活動へのご参加、ご協力を心よりお願いする次第です。

◆創立10周年記念事業
○前庭整備事業
現在の校門から事務室玄関までのエリアは創立当初個人所
有の水田でした、地権者との長年にわたる困難な交渉を経
て伊丹北高校校地として昭和54年に確保されることになり
ました。しかしその土地を前庭として整備する十分な予算
は残っておらず、同窓会からの寄付金の援助によって現在
のような美しい庭園になりました。
○校歌碑寄贈
○第一回同窓会名簿作成
◆創立20周年記念事業
○中庭の整備事業(学校・PTA合同事業)
学校・PTAとの合同事業として中庭の整備事業を行いました。
○第二回同窓会名簿作成
◆創立30周年記念事業
○バラ園の整備
○体育館音響・照明設備 寄付
○吹奏楽部楽器 寄付
○30周年記念番組制作費 寄付
○第三回同窓会名簿作成
◆創立40周年記念事業
○40周年記念 同窓会総会の開催
○同窓会ホームページ‘ビキタ’の立ち上げ
○40周年記念同窓会ハンドブック(名簿)の発刊
○母校応援を目指して、40周年寄付活動
○規約改正と同窓会費改定
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