会長挨拶/HPに寄せて

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会長挨拶

同窓生の皆さまにおかれましては、ますますご健勝にてご活躍のこととお喜び申し上げます。また、平素は本会活動に格別のご理解とご協力を賜り、心から感謝申し上げます。
 本年11月には創立50周年を迎え、この半世紀を紡いできたすべての舞子高校の関係者の皆様方と喜びを分かち合いたく存じます。
 1回生が入学した年、読売巨人軍はV10を逸し、長嶋茂雄選手が「我が巨人軍は永遠に不滅です」という言葉を残して現役を去りました。青春ドラマがブラウン管のテレビの中で走り回り、アイドルと言われる人たちが、中高生を虜にしていた時代だったと思います。生徒数も多く、私自身は1学年16クラスあった中学校を卒業して、創立3年目を迎えた年に舞子高校に入学しました。世間ではこの頃、多くの高等学校が誕生していました。このちょっと前まで神戸の第3学区といわれた地区に、高校は、長田高校、星陵高校、市須磨高校、市神戸西高校の4校ではなかったでしょうか。それが学区制や、入試の選抜制度の変更で多くの学校を対象に、中学生たちは進路先を考えることが出来るようにもなりました。しかし、時はさらに進み、今はまた統合や廃校という言葉が聞かれ、世の中の出生率が騒がれ、母校もその渦中に飲み込まれるのではないかと気をもむことになっています。そんな時間を経て我が母校舞子高校は50周年を迎えることになりました。
 私は、舞子高校には学生として3年通い、教員として11年勤め、その後18年ぶりに戻って2年間お世話になりました。そして、このたび同窓会長として舞子高校の結びの糸の中につなぎとめてもらえるようになりました。結局、私は高校入学以来、舞子高校に途切れることなく縁をいただいています。卒業したり、転勤したり、結びの糸は切れるのかと思いきや、同窓会という太い赤い糸が私の身体に巻きついているのを感じます。大袈裟なものではありません。ただ、同窓生として、学校とのつながりを手助けできる役割をいただけたということなのだと思います。
 教員として舞子高校に勤めることになったとき、「同窓生として戻ったのだから同窓会を活発にしなさい」という命題をいただきました。20周年が5年後に控えていました。校内の理事会が立ち上がり、会報「松薫」がつくられ、やっと舞子高校で総会を開くことができました。舞子高校出身の同窓生も増え、とにかく毎年総会をやって懇親会をできるようにしていきました。毎年、いくつかの回生の同窓会の場として使ってもらえるようにして、今でも続いているのは校内での理事の方のご尽力が大きいのだと思います。
 1995年1月17日の朝、舞子高校の校舎も大きく揺れ、ガラスは割れ、物は散乱し、焼却炉は破壊されたりもしました。灰が降ってくるグラウンドから須磨・長田の方角の赤い空を出勤できた職員と見つめていた記憶があります。何とか生徒・職員は全員無事で、避難所としては県内で最も早く閉じることができました。そして、震災の後、今後学校としてどういうことが出来るだろうかということをみんなで考えた結果、その後の環境防災科につながっていったことは舞子高校の沿革に示す通りです。
「伝統と文化のところ」という歌詞が校歌の中にあります。学生のとき、3年目の学校の「伝統」とは何だろうと不思議さに包まれた記憶があります。伝統とは、何年かかってできるものなのだろう、創立3年の学校の伝統とは何だろうと校歌を口ずさみながら考えていました。しかし、今50年を迎えた舞子高校には確かに伝統というものが育まれているのだと思います。学校生活の中で、先輩から後輩へと確かに引き継がれていくよき伝統があり、それはさらにこの後の舞子高校生へとつながっていくものなのでしょう。100周年、200周年と舞子高校がつながっていってほしいと思います。どうか、これからもこの舞子高校にかかわっていただける皆様のご理解、ご協力で、益々の発展を遂げていけますようどうぞよろしくお願い申しあげます。

兵庫県立舞子高等学校 同窓会会長 大矢 徹


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